もう親の転勤はなかったのですが、中学校に入って
たった1か月で親が建てた一戸建ての住宅へ引っ越しました。
本来は学区が違う距離でしたが、入学してたった
1か月で転校は絶対に嫌だったので、越境通学
それから3年間やりましたよ。((+_+))
足腰が鍛えられました。8キロの自転車中学でね。
Contents
自転車通学で8キロ
3年間ほとんどこの中学校とおうちの往復で過ごした
ように思います。
父親がとても厳しかったので、門限が異常に早かった
から。。。
ここら辺もいつか書く時がありそうですね。
学校は変わらずに済んだので、まだマシだったけど
これも親の都合といえば親の都合でしょう。
後々結婚するときに、こういったことはすべて
影響していれうことがわかります。
改めて書いてみると。。。
これだけ家と学校が離れていたことで、
友人を自分のおうちに呼ぶことはなかった
です。休日に友人宅や街中で遊ぶときは
バスを利用していました。
機会は少なかったですけどね。
でも、ここで初めて転校した2つ目の
同級生と何回か遊んだ思い出があるの
ですよ。(*^-^*)
3回の転校で最初の小学校に戻って
来た時に、同じ市内の学校どうしでしたから
陸上の記録大会で偶然会うことが
出来たのです。
2つ目の学校は転校生が来るような
エリアではなかったので、私のことを
覚えてくれていました。
マンモスの学校では300人以上いる
学年の1人で存在もちっぽけに感じて
いたけど、2つ目の学校では30人未満
の1人で、自分自身をしっかり感じられ
ていたんだ、と再会したときに思い
ましたよ。
中学校で少し自由に行動できるように
なってから、休日に何回か街中で
待ち合わせて遊んだのです。
この年齢でも覚えてるくらいですから
私にとっては大切な思い出です。(^^)
なんでかな~、、と思ったら、あれですよ。
そう、私には幼馴染というものがないから
なんです。物心ついてからたった6年くらいの
間に、南から北から同じ市内の真ん中から
端から端まで5か所も住んでたらそりゃ
幼馴染もいなくて当然でしょう。。
6年生くらいにまた父親転勤説が浮上しました。
もう、嫌で嫌でたまらなくなり、泣きながら
お願いだから父親1人で行ってくれ!!と
言った記憶があります。。
もうこの時は本当に動きたくなかった
です。 これは、ダンナにプロポーズされ
結婚が決まったときに話した大切な約束事
の1つに関わるきっかけとなったこと
です。
転勤なくても、また中学での転居、、という
出来事の記事でした。
BY MINORIN